何をもって「良い国」だと決めるのか?

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私の生まれた国はそれは豊かだったけれど、良い国だったかと問われると、そうだとは言えない。たくさんのことがひずんでいた。
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小野不由美(日本の小説家、同人作家)

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物資が十分普及されているとか
戦争が起きていないとか
サブカルチャーが充実しているとか
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何をもって「良い国」だと決めるのか
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私たちの住む日本とは、法令上で通常「国」と称する。 現在の日本の統治機構の基本的部分は、日本国憲法によって定められている。
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そして、日本国憲法は、「立憲主義」をとっている。
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では、「立憲主義」って何だろう。
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ひと言でいえば、権力の行使を憲法で縛る、コントロールすること。権力行使の主体は、国家。つまり、立憲主義とは、国家権力を憲法で縛るシステムのことである。
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では、なぜ「立憲主義」がとられているのだろう。
それは、一人ひとりが個人として、人として尊重されるという「個人の尊重」をまもるため。個人の基本的人権が保障され、個人の権利自由が侵害されないために、である。
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侵害するって、いったい誰が侵害するというのだろう。
これは、国家、権力なのである。
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ピンとこない。
国家は、いろいろと国民のために、何かをしてくれるものではないの?
国、行政には、もっといろいろと「やってほしい」。
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そのとおり、普段は、国、行政は、いろいろとやってくれるありがたい存在である。
でも、強い力、国民を強制できる力をもつ、時に怖い存在にもなる。
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税金を取られたくなくても、国が決めた税金は、強制的に取られてしまうし、犯罪を犯したとされれば、刑務所に強制的に入れられるし、時に命までとられてしまう。
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権力には、強い力があるから、好き勝手に行使されてしまうとたまったものではない。
憲法は、国民の権利自由を保障するために、国家に対して、「国民の○○の自由を侵害してはならない」という書き方を基本にしている。
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「立憲主義」は、なぜ必要なのだろう?
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国家、権力によって、国家のためだとして、個人の基本的人権が侵害された歴史があった。権力によって、一人ひとりのことよりも国家、団体、公が重視されて、個人の権利自由が侵害されてきた過去があった。
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特に、戦争というのは、究極的に、個人よりも国家を優先させ、個人を、一人ひとりの人ではなく、国家のための「道具」としてみなしがちである。
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ここで、民主主義国家、国民から選挙で、選ばれた人たちなら、権力の行使も適正に行われて、暴走することはないのでは?と思われるかも知れない。
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いやいや、民主主義国家であっても、憲法の縛りがなければ、間違った方向に行くこともありうる。
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逆に、国民から選ばれたんだと、謙虚さを忘れて、自分がやることは正しいのだと強気になってしまうかも知れない分、かえってやっかい。
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権力を持つものは、自らが誤りであることに気がつきづらいものである。正しいと思っている。自信がある。正しいと思っているので、反対する人たちの声に耳を傾けることなく、「妨害する人たち」として排除したくなるであろう。
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多数者から選ばれた人たちからなるために、少数者の人のことがわからないこともある。
そして、権力を行使するのは神様ではなく人間なのだから、間違ってしまうこともある。
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間違っても、大切な基本的人権の保障を侵害しないように、国家が守るべき約束を定めて、約束を破れば、国民がコントロールできるようにしているのが「憲法」なのである。
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つまり、国家に権力を与えた国民が、権力行使を適正に行われるようにするため、国家をコントロールためのものが「憲法」なのである。
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国家は、憲法に違反するような権力行使、すなわち個人の基本的人権を侵害することはできないという縛りをうけている。
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逆にいえば、国民は、「憲法」を持っているのだから、国家が権力を濫用している場合、濫用しそうな場合に、しっかり国家を「憲法」をもとに、コントロールできるし、しなければならない、ということになるのである。
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「立憲主義」というのは、個人を尊重するために、一人ひとりを人として大切にするための、よくできたシステムだと思う。
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『十二国記』は、小野不由美氏の小説シリーズ。中国風異世界を舞台にしたファンタジー小説である。
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陽子とは、『月の影 影の海』の中嶋陽子(日本の女子高生、のち景国の王)のこと。

豊かな国である日本国を見ているから、豊かなだけが良い国ではないと知っているのかも知れない。
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